A-Tornadoes通信vol.5
A-tornadoes通信 vol.5
務めている美術館が昨日開館10周年を迎えました。
あっという間の10年でした。
いつまで経っても時間に追われている感は拭えませんが、
これからもきっかけづくりに勤しみたいと思います。
今回のA-Tornadoes通信は、今シーズンから戦いの場をbjリーグに移したTornadoes戦士、マサさんの登場です!
コンテンツ
1 Tornadoesメンバーへのインタビュー(マサ編)
2 To マサ From HC西田
3 正峰コラム
4 Tatsumi’s-eye
1 Tornadoesメンバーへのインタビュー(マサ編)
Q1.ジェイトレで一番驚いた(ためになった)トレーニングは何だったですか?
バスケをするにあたって、ただ瞬時の反応だったり感覚でプレーするだけでなく、しっかりとその場面に応じた技(スキル)を持つと言う事の大切さをジェーソンコーチから学びました。それが一番僕の中に残っています。
Q2.過去4回すべてのTornadoes活動に参加されていますが、それぞれの感想を。
一回目のトルネードは初めて世界を目の当たりにした瞬間でした。この経験が僕に日本代表で日の丸を背負ってプレーしたいという夢をくれました。二回目は公式戦があるわけでもなく、ジェーソンコーチのトレーニングをしながらそこで学んだことをゲームで試すという内容でした。どういう状況、環境でも成長するのは自分次第である事を学ぶことができたと思います。
三回目はNBAに挑戦という僕の夢を飛び越した内容でした。僕より良い選手は日本には沢山います。それでも僕とナリトはシャーロットボブキャッツのコートに立ち、HC、ACの前でプレーをしました。
トルネードに関わる方々の本気のサポート、そして強い思いがあったからそれは現実となったのだと思います。これからですね!!!
そして今年の四回目。僕がどうしてもやってみたかった事ができた四回目のトルネード活動でした。それはIBLオールスターに参加した事です。5項目で話します。
Q3.日本とアメリカのバスケットボールの環境で一番違うなぁと思った点は?
やはり文化と歴史だと思います。長い歴史を経てアメリカのバスケットがあるのではないでしょうか。僕はまだまだ何も知りませんが、それは感じます。
小さい頃からの環境、大学、プロの環境がまるで違います。プロコーチは当たり前。個人スキルの面で小さい頃から細かく教わってる。それに大学、プロで行なう筋力トレーニングの知識もかなり進んでいると感じます。
また、指導にあたるコーチの言葉や雰囲気も違うのではないでしょうか。
Q4.Tornadoesに参加して、バスケットボールに対する意識の変化ってありましたか?
意識の変化。勿論ありました。夢をくれました。それに、体格が大きく能力の高い外国人を特別な目で見なくなったのもあります。外国人が同じコートにいるのももう当たり前に思えます。
常にその場で通用する様なプレーを心がける様になっているし、世界基準のプレーヤーになりたいと強く思っています。このような意識になれたのは、実際に海外に出て、自分の目で見て肌で感じたからだと思います。心から感謝しています。
Q5.IBLのオールスターに参加しての感想を。
IBLオールスター。これは僕がずっとやりたかったこと。僕以外全員が外国人。日本語も通じない、文化も違う集団の中に一人で生活をすると言う事。日本では逆ですよね。僕ら日本人の中に少しだけ外国人がいる。
僕は結構その外国人チームメイトと仲が良かったです。だから、その彼らの気持ちをより知りたかった。どんな気持ちで生活してるんだろう。というのがずっとあったので、今回は一週間だけだったけどそれを体験できたのが凄く嬉しかったです。
何が分かったかと聞かれると、言葉で答えるのはなかなか難しいです。
Q6.選手との宿舎生活でのこぼれ話、なにかあったら
毎年そうですが、知らない者同士がする集団生活には凄く学ぶものがあり、成長出来る場です。バスケだけで繋がってるのがまた良い。
いろんなことがあり過ぎて、逆にそれが普通に思えてしまいます。笑
とにかく楽しい事ばっかりですよ。
Q7.一番恋しくなった日本食って?
ないですね。たくまさんと辰巳さんが母親のようなご飯を毎日作ってくれましたから。強いて言うなら、LAにいた2週間は外食だけだったので、たくまさんと辰巳さんの料理が恋しかったです。
Q8.西田HCを漢字一字で表すとしたら?
嬉
昨年までリンク栃木ブレックスで一緒に戦っていたナリ選手とbjリーグの開幕戦で対戦したマサ選手。
試合開始直前、マサ選手とナリ選手だけが背中をぽんぽんとたたきあっているシーンがとても印象的でした。「男」というよりは「漢」と表現したいマサ選手。bjリーグでの活躍を期待しています!
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開幕戦は観れませんでしたが、ハンナリーズアリーナには行ってきました~
2 To マサ From HC西田
マサと最初に会ったのは2009年の第1回Tornadoes活動です。
まだリンク栃木ブレックスのトップチームに入ったばっかりで、初々しい印象でした。
そうですね「アメリカにチャレンジしに来ました」て感じが全面に出た雰囲気でしたね。
そんな彼だから、チーム練習にも、個人トレーニングにも、ゲームにも一生懸命取り組みました。
「一生懸命」という文字は、マサの為にあるんじゃないかと思わされるくらい。
そのマサとOneシーズン過ごして約束した事があります。
それは、マサのように一生懸命頑張る選手、でもまだ有名でない。
そんなマサの為に、私は次のステージを用意するという事でした。
日本人選手に夢を持ってもらう為に。
恵まれた体格、身長、環境ではなくとも、夢は自分の力で夢を掴み取ることができるんだ。
それをマサだったら証明してくれると思ったからです。
それにマサを見た、私の友人で現在ワシントン州立大学(PAC12所属)のアシスタントコーチのヒロナカ氏が「彼はNCAAのディビジョン1クラスでも十分やっていける」と言ってくれました。
その言葉も、私がマサを次のステージで挑戦させたいという気持ちの後押しをしてくれました。
そして約束を果たせた2011年。
NBAシャーロットボブキャッツでの日本人初のトライアウトを開催しました。
友人のコネクションもあり実現しました。
そこでマサは、日本ではまだ有名ではない選手にも関わらず、NBA関係者から高評価をもらいました。
と言うか、それよりも実際にNCAAディビジョン1クラスの選手やNBAの選手と一緒にゲームをやっても見劣りしないマサになっていたのにビックリでした。
2009年、挑戦者で渡米したマサは、何処か自信無さげだったのに、2年後はとんでもない自信とスキルを身につけていました。
そして4回目のTornadoes活動、2012年は、なんとInternational Basketball Leagueのオールスターメンバーにも選ばれLAのサマーリーグで日本人ただひとり参戦。
そんな中、NBDLコーチの選手探しの一環として行われたトレーニングにも参加し、そのコーチからは、「是非欲しい選手の一人だ」とのコメントもいただきました。
4年前、緊張で初々しかったマサ。
そのマサがTornadoesを代表して、ここまで登って来ました。
「たつみさん、魚の骨もらっていいですか?食べるので」と言うマサ。
何でも大事にするマサ。
そんな彼が世界に飛び出す日も近いでしょう!
3 正峰コラム
マサに初めて会ったとき、私は「タカ」と呼んでました。
日本のバスケ界のスーパースターとも知らずに。
私が「自分の売りは?」と質問したとき
「声です」と答えたマサ。
その答えに、日本人の魂を持っている男だと確信しました。
そして、人の心を大切にする義理堅い男ということで
「義」の文字を書きました。
シアトルのときは入れ替わりだったので、
日本で書いてみました。
あとで渡しますね。
日本のバスケ界を牽引する
すばらしい魂を持った男に
乾杯。
4 Tatsumi’s-eye
今回は、Nippon Tornadoesについて質問させていただきました。
Q1 Nippon Tornaodesの名前の由来を教えてください。
最初は熊本の阿蘇山にちなんでVolcanoes(火山)という名前をあげたのですが、残念ながら、先にその名前を使ったチームがIBLにあったので断念。
その後、仲間と話し合った結果、3つの理由でTornadoesに決定しました。
1、「バスケットの勝ち負けは置いといて、日本人チームがアメリカ国内から世界のバスケット界を席巻していこう」という事。
2、MLBでの野茂選手の活躍は多くの日本人に勇気を与えてくれました。なので彼のニックネームにちなんで。
3、そしてJapanではなくNipponにしたのは日本を背負って頑張りたいから。
Q2 第1回目から4回目までのそれぞれの感想を。
第1回目
IBLというプロリーグに日本人選手だけで参戦し、右も左もわからないまま、不安になる暇もないままの挑戦でした。
アメリカのプロ選手相手に勝ちに行くというより、きっと何処かに日本人が勝てるポイントがある。
それを探しに行った18ゲームでした。
もちろんそれは監督である私の考えで、選手はそれぞれに色んな想いを持って参加してたと思います。
しかし、「無我夢中」は良いですね。
前しか見ていない。第1回目は、そんな感じでした。
そして勝てる要素を発見しました。
第2回目
この年は、第1回目の良さと大変さを経験しました。
IBLサイドの話が変わる中での戦いだったので、ゲームだけの負担だけでなく、相当なストレスもありました。
よって2回目は、IBLに参戦せず、第1回目で気付いた「個人スキルと経験の不足」を補う為に、ECBAでの個人スキルトレーニングとそれを試す場所として、シアトルの地域リーグに参戦しました。
「試合の勝ち負けは置いといて、習った個人スキルを試す」
それをテーマに地域リーグに参戦できたことで格段にスキルがアップしました。
第3回目
「突然の話」
人との出会いが作ってくれたチャンス到来。
3回目はなんと、マイケルジョーダンがオーナーを務めるNBA所属のチーム(シャーロットボブキャッツ)の為に、日本人初で日本人の為の、単独トライアウトを行いました。
誰も信用してくれなかったトライアウト。
それもそのはず、私自身も信じられない事でありました。
でも実際、片岡選手と並里選手を連れて、ボブキャッツのアリーナ&練習場に行った時には、ほんとの事だと実感しました。
そしてもっと驚くべきことは、全日本でも日本でのトップ選手でもない二人が、ボブキャッツの関係者やシャーロットの人達に見てもらって、高評価&NBAに最も近い日本人として確信できたことでした。
この瞬間、私が想い続けてきた「日本のバスケット界を世界基準にする」という事を、全身全霊で実感できた瞬間でした。
第4回目
またもご縁。
第1回目のIBL参加で不安を抱いたIBL。
そのIBLの共同オーナーになりました。
元々IBLを日本人のステップアップの為のステージと考えてたので、IBLの共同オーナーになれたのは、とても嬉しい事でした。
それは日本の人達にとって、より良い環境を作れる事になれるからです。
そして迎えた2回目の参加Tornadoes
今回は日本人選手が十分に参加されなかったので、アメリカ人選手もチームに所属してくれました。
その縁で感じたことは、アメリカ人に比べると日本人は辛抱や我慢力がある。
粘りがある。
だから精神的に軽そうな選手も日本人と一緒にゲームをやり続けることで成長するし、楽しんでくれる。
その事で、日本人のメンタルの強さを再確認できました。
後はスキルですね。
大丈夫、メンタルが良いとスキルは直ぐアップする。
その証拠に第1回から参加してる片岡選手はIBLのオールスター選手に選ばれ、LAのサマーリーグでも活躍し、NBDLのコーチ人からも高評価を受けました。
また更に一歩前進です。
Q3 Nippon Tornadoesの今後の展望について。
継続あるのみです。
後はIBLの環境を日本人選手だけでなく、コーチ、審判、スタッフなどバスケットに関わる人たちの育成の場所として整備し続けます。
それに伴いNippon Tornadoesも成長を続け、一人二人と世界の大舞台(NBAを含む)に送り込んで行こうと思います。
まさに「継続は力なり」ですね。
次回のNippon Tornadoesが今から楽しみです!
編集後記
数日前に、『かぞくのくに』という映画を観ました。
在日コリアン二世のヤン・ヨンヒ監督が自身の体験を元に描いた作品です。出演は安藤サクラ、井浦新、ヤン・イクチュンなどなど。
私はこの映画を観るまで、帰国事業(1959年から1984年にかけて続いていた北朝鮮への集団移住のこと。当時は北朝鮮を「地上の楽園」と啓蒙していた。日本と北朝鮮との間に国交樹立がいまだ実現されていないため、集団移住した人たちの再入国はほとんど許されていない。-映画パンフレットより)のことを恥ずかしながら知りませんでした。
ヤン監督のお兄さんはこの帰国事業で移住し、病気治療のため一時帰国をしますが(三か月の予定で)、たった一週間で治療も受けないまま帰国させられるという実話がベースになっています。
国家、とか、思想、とか、基本的人権の尊重、とか、日常的に意識して過ごしていないのほほんとした私にとって、感動したとか安易に表現できませんが、『かぞくのくに』というタイトルの意味や、なぜこのタイミングでこの映画を観たんだろう?という問いをじっくり考えてみたいと思いました。
まだうまく説明できないのですが、ぜひ観ていただきたいなと思ったのでご紹介させていただきました!
二度と観なくてもいい、だけど一生忘れない映画って、これで3本目だなぁと思った夜に。
A-Tornadoes emi